うさぎとオーストラリアの戦い日本一詳しく解説

19世紀にイギリスからオーストラリアにある人物が狩猟用のうさぎを持ち込んだ・・
まさか、それがその後のオーストラリアの命運を別けることになるとは知る由もありませんでした。

映画のような導入ですが(笑)
うさぎとオーストラリアの戦いは映画化できるほどドラマチックなんです!

この記事の内容
・うさぎとオーストラリアの戦いの始まり(1859)
・うさぎの爆発的繁殖(1860)
・爆発的繁殖を止める初の対策(1901)
・うさぎが飢餓を救ってくれた(1929)
・再びうさぎとの対決(1940)
・現在のオーストラリアのうさぎ(2023)

今回は海外の記事や論文も参考にして
日本一詳しくうさぎとオーストラリアの戦いについて解説していきます!!

うさぎとオーストラリアについて知りたい方は
最後まで読んでいただければ人に話したくなること間違い無しです

【プロフィール】
うさぎを飼っています。
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うさぎとオーストラリアの戦いの始まり(1859)

オーストラリアのコアラ

オーストラリアは気温が安定しており国土面積も広く
動物にとって暮らしやすい土地です。

そんなオーストラリアにはタスマニア島から食用のうさぎは持ち込まれていましたが
食用のうさぎは繁殖力や生命力が強くなくオーストラリア内での生息数は維持されていました。

しかし、、、

1859年にオーストラリアに住んでいたイギリス人のトーマスオースティン(Thomas Austin)が
狩猟用にイギリスから24匹のうさぎを送ってもらいました。
狩猟用のうさぎは身体も大きく丈夫で繁殖力がありました。

イギリスから届いたうさぎをオースティンは庭に放し飼いにしていましたが
数匹が逃げてしまい、元々オーストラリアに生息していたタスマニア島のうさぎと交尾をして
繁殖力の強いうさぎを生み出してしまいました・・・・

ここまでがオーストラリアに繁殖力の強いうさぎが誕生した原因になります。

うさぎの爆発的繁殖(1860)

イギリスから送られてきた狩猟用のうさぎと在来種のうさぎが
交尾して産まれた繁殖力が強いうさぎはその後爆発的に繁殖し

うさぎの繁殖の拡大方向に草原が消滅していったと言われています。
繁殖したうさぎが草木を食べるからですね。

オーストラリアの大量のうさぎ

当然、草原が無くなると草食動物のエサが無くなり草食動物の数が減少してきます。
草食動物の数が減少すると肉食動物の数が減少します。
そうしてうさぎの繁殖の影響でオーストラリアの生態系が破壊されてしまったのです!!

爆発的繁殖を止める初の対策(1901)

アナログな方法ではありますが
1901年から7年間で、繁殖力の強い新種のうさぎの生息地の拡大が未だ届いていない地域の境に
鉄条網を貼っていきました。
なんと1600kmの長さです!!!

フェンス

しかし、、
うさぎはアナウサギ、、、、
鉄条網の下に穴を掘り反対側の地域に入り込んでしまうのでした!!!

そうして全土に拡大したうさぎに対して
国はうさぎに対して懸賞金をかけました。

人々はうさぎを狩ったり、罠をしかけたり、うさぎの巣穴を爆発したりと
民衆 vs うさぎの構図を作りました。
しかしうさぎの繁殖は止まらず増え続けました

うさぎが飢餓を救ってくれた(1929)

1929年アメリカにて大恐慌が起こりオーストラリアも不況が波及し
オーストラリア経済も不況になり働けない人が増加しました。

仕事が無いと食料を買うことも困難になるはずですが
オーストラリアには、あのうさぎがいました(笑)

1930年、うさぎはオーストラリアには10億匹生息していたと言われています。
当時のオーストラリアの人口は600万人です!!
人間1人にうさぎ166匹の比率です。
大恐慌は10年ほど続きましたが人々はうさぎを食べることで飢えることはありませんでした

大恐慌が終わりオーストラリアの経済も正常になってきた時に
飢餓を防ぐためにうさぎを食べることが不要になると、うさぎが再び邪魔な存在になりました。

再びうさぎとの対決(1940)

天敵の投入

オーストラリア政府は対策として天敵のキツネを輸入してきて放しました。

キツネ

しかし、うさぎは本能としてキツネから逃げることができましたが
オーストラリアの在来種の草食動物たちはキツネを知らず逃げずに食べられてしまいました・・

結局はうさぎとキツネの数は増加し
オーストラリアはキツネの毛皮輸出国世界No1になりました(笑)

世の中何がどうなるか分かりませんね。。

兵隊の投入

オーストラリア政府はなんとうさぎを減らすために
兵隊を投入して罠や銃器を使用して撲滅を計りましたが、250万匹ほどしか駆除できず
お金を掛けた割に失敗に終わりました

兵士

毒物・粘液種ウイルス

オーストラリア政府は兵隊や民衆での駆除を諦めて
毒物・粘液種ウイルスを使用してうさぎの絶滅を考えました。

先ず政府はうさぎの生息地の水に毒物を入れました。
多少の効果はありましたがうさぎの繁殖力には勝てず絶滅はできませんでした。

水を飲むうさぎ

その後1950年に最終手段として粘液種ウイルスをうさぎに投与して
うさぎ社会に広げて絶滅を計ると効果絶大99.8%ほどのうさぎが亡くなりました。

粘液種ウイルスについてwikipedia[2]から抜粋します。
(うさぎ飼いの私としてはこの文章を読むだけで胸が痛いです)
「主にウサギノミによる咬傷によって行われる。ミクソーマウイルスに感染したウサギは、感染から1週間以内に症状が出始め、それから数日後には瞼、鼻、耳などが膿で腫れあがり、目も開けられず、耳も聞こえない状態となり、感染後11 – 15日で死に至る

しかし、0.2%の生き残ったうさぎ粘液種ウイルスに負けない屈強なうさぎであるため
繁殖力も強くまた爆発的に繁殖していきました
なんと6年で生息数が元の数になってしまい粘液種ウイルスの抗体も持っているので
政府は同じ方法を行うことできなかったのです。

1995年にうさぎ出血病ウイルスを試しましたが絶滅させることはできませんでした。

現在のオーストラリアのうさぎ(2023)

現在オーストラリアにうさぎは2億匹いると言われています。
クイーンズランド州ではうさぎを飼う事が法律で禁止されています。

現在のオーストラリアを旅行目線で知りたい方はこちら♪

結論・まとめ

■うさぎとオーストラリアの戦いの始まり
 1859年にイギリスから狩猟用に連れてきたうさぎが在来種と交わり繁殖した
■うさぎの爆発的繁殖
 草原を食い荒らし生態系を壊した。
■爆発的繁殖を止める初の対策
 フェンスなど用いて止めようとしたがオーストラリア全土に繁殖して10億匹にもなった。
■うさぎが飢餓を救ってくれた
 1929年に起きた世界恐慌の不況でうさぎを食べることで飢餓を防げた。
■再びうさぎとの対決
 天敵のキツネ、兵隊、毒・粘液種ウイルスなどで数を減らそうとしたが最終的には減らせなかった。
■現在のオーストラリアのうさぎ
 2億匹のうさぎが暮らしている。

感想

ここまでうさぎとオーストラリアの200年にも渡る戦いを解説してきました。
とてもドラマティックで人に話したくなるような内容だったと思います。

日本ではかわいい動物ですが、在来種や人々の生活に悪影響を与えると
害獣として扱われてしまいます。
豊かな自然に囲まれたオーストラリアならではの問題なんですね。

ここまで読んでていただきありがとうございました!!

参考情報

[1]WikiPedia-Rabbits_in_Australia

[2]WikiPedia-兎粘液腫

[3]YouTube-オーストラリアのうさぎ(英語)

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